トラ (7)

12. 「於菟」

『左伝』宣公四年に, 楚の令尹子文の名である「穀於菟」の説明として, 楚では乳(で養うこと?)を「穀」といい, 虎を「於菟」という, という話がでてくる。 『漢書』叙伝でもおなじ話を引くが, 字は「於檡」になっている。 『左伝』につけられた釈文(「於」音「烏」, 「菟」音「徒」)や 『漢書』の顔師古注(「檡」, 字或作「菟」, 並音「塗」) にしたがうと, いずれも上古音で *'ada のような音を意図していたらしい。 左思『呉都賦』では「烏菟」に作る。

楊雄『方言』には,

虎, 陳魏宋楚之間, 或謂之「李父」。 江淮南楚之間, 謂之「李耳」, 或謂之「於[虎+兔]」。 自関東西, 謂之「伯都」。

と, むずかしい字をつかっている。 『康煕字典』には [虎+烏] の字さえ載っている(『玉篇』を引く)。 「駐車場」の「駐」の字を車偏に書くようなものか?

なお, 『方言』「於[虎+兔]」の下の郭璞の注に,

「於」音「烏」。 今江南山夷呼虎為「[虎+兔]」, 音「狗竇」。

というが, 魏晋期には「狗竇」の音はすでに中古音と大差なく (丁邦新『Chinese Phonology of the Wei-Chin Period: Reconstruction of the Finals as Reflected in Poetry』参照。 とりあえず声調は無視), *koudou のようになっていただろう。 これが左伝でいう「於菟」とほんとうに関係するかは, やや疑問である。

「於菟」の話は有名で, 楚語の貴重な資料であるので, いろんな人がいろんな解釈をこころみているようだ。 有名なのは Jerry Norman と梅祖麟の 「The Austroasiatics in Ancient South China: Some Lexical Evidence」 (1976) で, ここでは「虎」も「於菟」も, ともに前記オーストロアジア語族の *kla にたどりつくかもしれないといっている。 もしこの説がただしいとしても, *kla 系統の語は語族をこえてひろがっているので, ただちに「楚語がオーストロアジア語族に属する」, ということになるわけではない。

なお, 森鴎外の長男である於菟が生まれたのは 1890年で, 寅年だったようだ。

ところで, Google で検索すると, 「跳於菟」なるまつりがやたらと出てくるが, 原語では何というのだろうか。

(追記) 南方熊楠の引く『大唐西域記』の「烏檡」は, 巻3 (CBETA) の僧訶補羅国(カシミール地方) の話で, 平凡社東洋文庫の水谷真成の注は, サンスクリット otu (猫) 説もあげてはいるが, それよりもチベット語 stag との関係を考えるべきだろうとしている。

投稿時刻 2006-05-08(丁酉) 16:24言語::その他 | コメント (0)

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