支那 (2)

黄侃

『爾雅音訓』に収める「釈倭」という文章は, 日本が山東の居留民の保護を口実に膠済を占領したといっているので, 1928年ごろの文かと思われるが,

秦之音変為脂那、震旦。 而脂那或書支那, 此本非悪名。 然自彼効西法後, 称我支那, 即含有軽藐之意

という。 「支那」本来の意味はわるくないのに, 近代日本のいう支那には軽蔑の意味がこもっているということ。 黄侃は, 「支那」の語を積極的に用いた章炳麟に学んだのに, すでに支那に貶意を感じるようになっているわけだ。

投稿時刻 2008-03-06(乙巳) 02:18言語::地名 | コメント (0)

支那 (1)

戦前の人が「支那」について何を言っていたか, すこしずつまとめていこうとおもいます。 かなりゆっくりになるかもしれませんが……

竹内好

1935年以降「中国文学月報」(のちに「中国文学」と解題)を発行する。 その第1号には,

会名の「中国文学」は「支那文学」と同義である。 固有名詞が同文の二国間で翻訳なしに通用しない不便は避けたいと思う以外に 他意はない。 普通名詞としては「支那文学」と言って一向差支えない。

うんぬんという。 竹内じしんは普通名詞としても「中国」の語を使うことが多かったようだ。

しかるに, 1940 「支那と中国」(のち『日本と中国のあいだ』におさめる) では, 上で安易に「同文」云々といったことを反省している。 「支那と中国」を要約すると:

  • さいきん, 『文芸春秋』の「話の屑籠」などで, 「支那」を「中国」と称すべきという説が行われている。
  • 「支那」という言葉は, じっさい支那人から非常に嫌われている。 とくに郭沫若は「支那」の語に侮蔑を感じている。
  • いまの支那でいう「中国」は, 中華思想とは無関係。 「中国」をこの意味で使うようになったのは, 梁啓超がはじめではないか。 梁啓超は「支那」の語も用いたが, それは外国人による称呼として, 「中国」とは区別して使用した。
  • 明治時代の日本では, 「支那」と「清国」の両方がおこなわれていたが, 大正以降は専ら「支那」と称するようになった。 「中国」は耳に熟さず, 「中華民国」の略称か, 中華思想によるものと誤解されるようになった。
  • ただし, 左翼評論では古くから支那を「中国」とよぶことがあったらしい。

この文, およびこれ以降の戦前の文章では, 竹内は主に「支那」の語を使っているようだ。

投稿時刻 2008-03-05(甲辰) 01:00言語::地名 | コメント (1)

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