轆轤

『世説新語』排調で, 「作危語」 (危険な句を, 「危」の字に韻(『切韻』でいうと支韻)をふませて作る) という遊びをやったとき, 顧愷之が「井上轆轤臥嬰児」と言ったという。

ここでいう「轆轤」は, 円筒形の器械で, 井戸のうえに, 軸が水平になるように置き, 手でハンドルを回転させると, つるべが巻きとられるしかけである。

しかし, どうやってそんなものの上に嬰児が寝ることができるのだろう。 井戸の上だから危険なのであって, 寝づらいから危険, というわけではないだろう。 赤子をだいた人が, 轆轤をつかうために, 赤子を手から離してちょっと井戸端に置いた, という意味ならよいのだが, この 7字をそういう意味に解釈するのは無理のようだ。

ところで, 日本でいう(陶工が使う)「ろくろ」のことを, いまの中国語では何というのだろうか?

日中辞典の類で「ろくろ」をひくと, 「陶工用的旋転円盤」のような説明がされているので, ぴったりした単語がないのかもしれない。 単語になっているものとしてはまず「陶鈞」があるが, これはいかにも雅語らしい。 『現代漢語詞典』で「陶鈞」を引くと「製陶器時所用的転輪」と説明してあるが, 「転輪」じたいは載っていない(「転輪手槍」はある)。 「転盤」というとターンテーブルになるようだ。 「陶車・陶輪」というのは現代語で使われているようだが, ふつうの辞書にはあまり見あたらない。 おそらく英語「potter's wheel」の直訳ではないか。 『中日大辞典』には「旋床子」という語が載っていて, これはたしかにろくろのことらしいが, すくなくとも現代ではあまり用いられないようだ。

投稿時刻 2008-03-05(甲辰) 01:43言語::中国語 | コメント (1)

セミ(下)

中国のセミについてまとめた本としては, 『中国蝉科志』が 227種のセミについて記す。 台湾では『台湾賞蝉図鑑』がすぐれた本のようだ。 しかしどちらも高価で, この文章を書くためだけに購入するのはためらわれる。

とりあえず, 以下の本を読むことができた。

  1. 孟緒武編著『安徽省昆虫名録』中国科学技術大学出版社, 2003。
  2. 王大洲・白順江・劉建智編著『河北省昆虫蜱蟎名録』中国林業出版社, 1999。
  3. 呉継伝著『中華鳴虫譜』北京出版社, 2001。 主にコオロギの類について記すが, セミなども少し記述している。 しかし, ほかの本とかなり異なる名が書いてある。
  4. 饒戈編著『香港昆虫図鑑』野外動向出版社, 2006。

以上の文献と Web 上の情報を総合してみると:

  • ニイニイゼミ(Platypleura kaempferi) は蟪蛄で問題なし。 北京でいう「伏天児」もニイニイゼミで, 夏のセミの代表。 文献3 だけは蟪蛄を Suisha coreana (チョウセンケナガニイニイ) としているが, 「4月に鳴きはじめる」と書いてあるところからみると, やはりニイニイゼミのほうではあるまいか(それでも早すぎるが)。
    日本ではなぜか蟪蛄をツクツクボウシとすることがあるが, 「蟪蛄不知春秋」と荘子にいうのに, 秋を知るツクツクボウシではおかしい。 『本草綱目』に「秋月鳴而色青紫者」としているのが原因か?
  • ツクツクボウシ(Meimuna opalifera) は寒蝉でよいはずだが, これまた文献3 だけが「寒蛁蟟蝉」という異なる名前にしている。
  • ミンミンゼミ(Oncotympana maculaticollis) は蛁蟟だが, ただし一般には鳴鳴蝉というようだ。 『新華字典』に「蛁」の字は載ってすらいない。
    ちなみに, 文献3 には 「嗚嗚蝉」という, たいへんまぎらわしい名のセミが載っている。
  • クマゼミ(Cryptotympana facialis) が属する Cryptotympana は, 中国語では蚱蝉属だが, たんに蚱蝉というと C. atrata (スジアカクマゼミ) であって, 日本のクマゼミとは異なるようだ。
  • アブラゼミ(Graptopsaltria nigrofuscata) は, あまり中国では一般的ではないようだ。 文献3 では「黒褐蜩蝉」と書いているが, どうもこの本は信用ならない。 同属の胡蝉(G. tienta)というのは いる(これまた文献3 は「鳴褐蜩蝉」という べつの名前で呼ぶ)。 『新日漢辞典』のあげる「梨蜩」というのは, Google では 102件見つかるが, その多くは日本文学の翻訳。 文献1 に「梨鳴蜩 (G. colorata)」というのが載っているので, これに由来するのだろうか。
  • ヒグラシ(Tanna japonicus) は, わたしの見た本には載っていなかった。 どうも Tanna は南のほうにしかいないらしい。 属名としては螗蝉でよいようで, 文献1 には, 同属の高山螗蝉(Tanna obliqua)というのが載っていた。 台湾には Tanna が数種いて, 暮蝉属としているが, この名前は日本語の「ヒグラシ」に由来するのではなかろうか。

『爾雅』・『方言』などに見られる 「蜋蜩・蚻・蠽・蝒・蜺・蝘・螓・寒螿・螇螰」 の類は古語であって, 今は使われないもののようだ。 文献3 には Melampsalta pellosama (緑寒蝤蝉) というセミを「寒螿」としているが, ほかの本には載っていない。
追記: pellosama は pellosoma の誤りではないかとおもうが, 甘粛省自然科技資源 昆虫資源庫 でも pellosama になっていた。

日本では『和名抄』のころから「茅蜩」をヒグラシにあてているし, 「蜩」だけでもヒグラシと読んでいるが, すくなくとも現代中国では「茅蜩・蜩」はアブラゼミのことのようだ。 (ただし, 昆虫の専門書以外では, 「蜩」はたんにセミの古名としか記してないことが多い)

なお「知了」というのは特定の種ではなく, 蚱蝉のことだったり鳴鳴蝉のことだったりするようだ。

投稿時刻 2007-12-22(庚寅) 23:03言語::中国語 | コメント (0)

セミ(上)

「ひぐらしのなく頃に」の中国語タイトルが, 台湾では書店により 「暮蝉悲鳴時」と「寒蝉鳴泣之時」とに分かれていて (cf. 中国語版Wikipedia 記事「暮蝉悲鳴時」), 「ひぐらし」は暮蝉と寒蝉のどっちなのか, という話題があがっていたので, 日本のセミの名前について, まず中日・日中辞典をしらべてみた。

日本語 中日大辞典 角川大辞典 現代
中国語辞典
新日漢辞典 小学館
日中辞典
講談社
日中辞典
ニイニイゼミ 蟪蛄, 惠蛄 蟪蛄 蟪蛄 蟪蛄 蟪蛄 蟪蛄
ミンミンゼミ 鳴蝉(総称) (なし) (なし) 蝉的一種 蛁蟟 蛁蟟
クマゼミ 蚱蝉,
[方]馬蝉(の一種)
蚱蝉,
馬蝉(の一種)
(なし) (なし) 蚱蝉, 知了 蚱蝉, 大知了
アブラゼミ 鳴蜩(総称) (なし) (なし) 梨蜩 秋蝉 鳴蝉, 秋蝉
ツクツクボウシ 寒蝉, 寒蜩, 秋涼
(児), [文]寒螿, [文]霓
寒蝉 寒蝉 黒蛁蟟(寒蝉) 寒蝉 知了
ヒグラシ (なし) 寒蝉 (曹植
詩を引く),
茅蜩, 秋蝉
(なし) 茅蜩 茅蜩 日本夜蝉
ハルゼミ 雨春蝉 (なし) (なし) (日本特産)春蝉 (なし) (なし)
エゾゼミ 花蛾蝉 (なし) (なし) (なし) (なし) (なし)

日本にいるセミが中国でふつうにいるとはかぎらないので, しかたない面があるのかもしれないが, ニイニイゼミが蟪蛄であるのを除いては, ひどくバラバラだ。

なお中日大辞典は校訂第2版。 講談社日中辞典は 2006年の版で, 小学館のものと似るが, 「ひぐらし」と「つくつくぼうし」のところが大きく異なる。

投稿時刻 2007-12-14(壬午) 09:10言語::中国語 | コメント (0)

工作組

asahi.com の 9/28 版で, 中国がミャンマーに「工作組」を派遣した, という記事が載った。 (たぶん紙の新聞にも載ったとおもうが, 未確認)

日本語の記事で「工作組」と書くと, いかにもあやしげな雰囲気がただようが, もちろん中国語では「工作組」というのはたんに作業班のことである。 べつに大陸だけでなく, 台湾でもふつうに使う語だ。 朝日の記者がわざと読者に誤解させようとしたのでなければ, 誤訳と言っていいとおもう。

中国語で単に仕事を意味する「工作」に, 日本語で特別な意味がくわわったことについて, 日本国語大辞典には:

昭和初期、旧満州や上海での日中衝突により、中国語の「工作」が、 日本の新聞の軍事関係の記事に頻繁に現われたが、 その際日本では軍事的な色彩を帯びたものと受取られる一方、 「裏工作」「秘密工作」「スパイ工作」 などにおけるように、裏の、陰で行なわれるものという語感が加わった。

と記してあった。

それにしても, 「工作組」を日本語としてどう読ませるつもりだったのだろう。 コウサクソ? コウサクグミ?

なお, 英語で作業グループのことを「task force」と呼ぶことがあるが, あれはけっこう物騒な語だと思う。

投稿時刻 2007-12-12(庚辰) 02:26言語::中国語 | コメント (2)

「『倭』字について」について

去年の 10/23 に, その 11 で止まっている「『倭』字について」ですが, これで終わりではありません。 なかなか書きつづけるひまがなくて, 停滞しています。

投稿時刻 2007-01-22(丙辰) 15:13言語::中国語 | コメント (0)

「吾」と「我」

「倭」の上古音の話に関連して。 歌部が上古において -aj のように -j でおわっていたとかんがえると, 「吾」と「我」の問題が理解しやすくなる。

先秦の文献で, 主格・属格には主に「吾」があらわれて「我」はすくなく, 対格には原則として「我」のみがあらわれることは, 19世紀以来, いろいろな学者がとりあげている。 しかしこれを格変化とかんがえると,

  • 主格・属格で, 「吾」より少ないとはいえ, 「我」があらわれることもめずらしくない。
  • 対格の代名詞は否定文では動詞に前置されるが, この時は「吾」があらわれることもある。

といった現象がうまく説明できない。 この問題について, 学生時代にゼミであつかったことがあるが, 自分で納得できる仮説をもつことができなかった。

ここで思いおこされるのは, 日本語に関する有坂秀世氏の「露出形」と「被覆形」のことである。 日本語では「あめ(雨)」と「あまよ(雨夜)」, 「ふね(船)」と「ふなびと(船人)」 のように, 語末でエ段(乙類), それ以外でア段があらわれる場合がしばしばある。 そして大野晋氏などによれば, エ段乙類は, 文献以前の時代には ai だったろうとかんがえられている。

もし, 上古音で「吾」が ŋa, 「我」が ŋaj だったとすれば, (声調がことなるが) その音の関係は日本語のア段とエ段乙類の関係によく似ている。 日本語の場合, 「露出形」と「被覆形」のどちらが先にあったのか, はっきりしないようだが, 中国語の場合, 文献的には「我」のほうが古い。 主格のときは後ろに動詞がつづき, 属格のときはうしろに修飾される語がつづくので, おそらく, ŋaj のおわりの -j が省略されて, 「被覆形」の ŋa になったのだ。

このようにかんがえると, 主格・属格で「吾・我」の両方が出てくる原因は, 「代名詞のあとに息の切れめがある場合には, 露出形の「我」があらわれた」 と説明できる。 『孟子』では, 「X Y 也」(X は Y である)の構文で, X の部分には「吾」でなく「我」がつかわれることが指摘されているが, この構文では X のあとにとりわけはっきりした息の切れめがおかれたのだろう。

動詞に先だつ対格の一人称代名詞で「吾」がつかわれることがあるのも, おなじように「吾が後続の動詞とひと息に発音されたから」と, かんたんに説明できる。

呂叔湘・江藍生『近代漢語指代詞』(学林出版社 1985) p.2 に,

大概在語音上我字是比較強勢的一箇, 周秦之際它已経拡展到吾字的領域。

という, ごく簡単な説明がある。 呂叔湘がどんな「語音」を想定していたのかが不明だが, わたしはこの文の前半にだいたい賛成する。 ただ, 文の後半は, 「我」が強勢のある語だったので後世まで生きのこったと言っているようにも読めるが, そうではなくて, 「吾」がある時期の一部の方言における省略形にすぎず, しばらくしたら流行しなくなったのだろう。 とくに後漢以降は歌部の -j はすでに脱落していただろうから, 「吾」と交替する意味はなくなってしまったはずだ。

古代中国語の代名詞の「格変化」といわれているものには, ほかに「余・朕」, 「女(汝)・爾」などがあるが, これらについてはまた別にかんがえねばならない。 また, チベット語の nga との関係もよくかんがえる必要がある。

投稿時刻 2006-11-16(己酉) 16:28言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (10)

さて, 歌部が ajoj の 2種類にわかれると仮定した場合, 声母が牙喉音の字についても, ほかの字との押韻状況をしらべることによって, それがたとえば kwaj だったのか koj だったのか, りくつの上では区別できるはずである。 歌部開口の字と押韻していれば前者, 舌歯音合口の字と押韻していれば後者だ。 しかし, 「委」については, やや矛盾した結果が得られる。

まず小雅・谷風の「嵬・萎・怨」だが, 「嵬」は微部であり, 微部と合韻するのはふつう歌部合口, つまり -oj のほうだ。 いっぽう「怨」は衛風・邙で「岸・泮・宴・晏・旦・反」と押韻していて, これは主母音が a であったことを示すようにもみえるが, 「怨」とおなじ声符をもつ「婉」が「乱」などと押韻し, 「苑」が「群・錞」(文部)と押韻しているから, 邙の例を例外とみなせば, 主母音は o でよいことになる。 また, もし小徐本のいうように「委」の声符が「禾」だったとすれば, おなじく「禾」を声符とする「和」が「吹」と韻をふんでいるので, やはり主母音は o になる。

いっぽう, 韓詩では小雅・谷風の「嵬」を「原」に作っており, 「原」は, ほかの多くの詩では開口の字と韻をふむ。 「委蛇」などを畳韻の語とかんがえるためにも, 「委」と「蛇」の母音がともに a であったほうが, つごうがよい。

声母が唇音の字についても見ると, 歌部は『詩経』で 8字(皮・波・破・陂・麻・磨・靡・羆) が合計 14か所で, いずれも開口の字と押韻している。 しかし, 元部・祭(月)部には, 唇音字が舌歯音合口と押韻している例があり, とくに祭(月)部では, おなじ声符をもつ字が開口と合口の両方にあらわれることが多い。

これらの現象をどう説明すべきか。 わたしは, 「上古歌部の韻の部分は少なくとも -aj と -oj の 2種類があったが, 円唇性をもつ音節頭子音(kw-, p- など)のあとに -aj がつづいたばあい, 子音の影響をうけて母音も円唇化するため, たとえば kwaj と koj の差は小さく, そのために通用することがあった」 とかんがえる。 「萎」については, 『詩経』の押韻例を重んじて 'joj とすべきだろうが, 'wjaj であった可能性ものこる。 「倭遅」の「倭」はこれと同音, そして国名の「倭」については, 直音なので 'oj (ひょっとすると 'waj) だったということになる。

なお, 歌部合口の主母音が o でほんとうに良いのか (たとえば u である可能性はないか) ということもかんがえなければならないが, わたしは判断する手段をもたない。

投稿時刻 2006-10-23(乙酉) 13:43言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (9)

歌部の主母音が開口で「a」であることに異論はないが, 合口の場合については問題がある。 (7) でちょっと書いたように, 合口の -u- が後世の発達とかんがえられるためである。 ヤホントフは, いくつかの形声文字の声符(完と寇など)を根拠に, 歌・元・祭(・月)部合口の主母音を o とかんがえたが, 李方桂は 「這従詩経的押韻的情形看起来似乎不可能, 至少在詩経的時代已経是 *uat 了。」 と, ヤホントフ説を否定している。

ただ, 詩経の押韻をじっさいに見てみると, 歌・元・祭部で, 中古に舌歯音合口になっている字が, 開口の字と押韻している例は, まったく存在しない (牙喉音合口については, たとえば召南・江有汜の「過」が「沱・歌」と韻をふんでいるが, これは kwaj だったとかんがえればよく, 上古音に -u- を想定する根拠にはならない)。 歌部については, そもそも舌歯音合口が詩経の韻字として出てくること自体きわめてまれ (鄭風・蘀兮「吹・和」のみ。 小雅・鴛鴦「摧・綏」の「摧」を毛伝・鄭箋にしたがって「莝」と読めば, あるいはこれも)だが, おなじ主母音をもっていたであろう元部では合口どうし・開口どうしが押韻しており, 押韻だけからは, 李方桂のいうところに異なり, むしろ開口と合口がちがう韻部に属していたとかんがえたほうが合理的である。

形声文字の声符も, 歌部舌歯音開口(多・它・也・左・差・沙・那・羅・罹・离など) と合口(朵・隓・惢・坐・吹・垂・瑣・贏など) の二者は, はっきりわかれている。 もっともこちらは分かれていたからといって主母音がちがっていたとはいえないが。 例外かもしれないのは下の 2例くらいのもの。

  1. 莎: 『広韻』蘇禾切で合口だが, 声符の「沙」は開口。 『詩経』豳風・七月「六月莎雞振羽」の「莎雞」(虫の名)は, 『経典釈文』には開口と合口の 2音をあげている。 草名(カヤツリグサ)の意味の「莎」は合口で安定しており, 『説文解字』に「莎, 鎬也。从艸沙声」といい, 『爾雅』釈草に「[艸/滈]侯, 莎。其実, 媞。」という。 『大戴礼』夏小正では同じ草を「莎随」と呼んでいる。 もとは開口だったのが, うしろの「随」に同化して合口になったものか。
    ほかに『周礼』司尊彝や『礼記』郊特牲の鄭注に見える 「摩莎」は『経典釈文』では開口。
    カールグレンは(16f), 虫名を開口, 草名を合口とかんがえ, 草名のほうは漢時の用例しか見られないとする。
  2. 隓: 『広韻』許規切(ただしこの音は重紐四等で, 歌部らしくないし, 舌歯音でもない)で合口。 この字を声符とする「隋・堕」なども合口。 もし「隓」が「左」を声符とすると解釈すれば, 合口字の声符として開口の字が使われていることになるが, この字の由来ははっきりしない。 甲骨文字に, こざとに「人」を上下逆にした字を 「(馬車から)転落する」という意味で使った例があり, この上下逆の「人」が, のちに「左」に変化したとかんがえることもできる。

けっきょく, 歌部開口と合口をひとつの部に入れている根拠は, 中古音でおなじ韻にはいっているということにすぎない。 詩経の押韻からは, べつの韻とかんがえるほうがすぐれている。

投稿時刻 2006-10-23(乙酉) 13:12言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (8)

上古音は, 音価推定するための同時資料を欠くため, 決定的なことを言いがたいことが多いが, 歌部の韻尾については説の優劣をかんがえることが可能だとおもう。

まず -r (または -l) があったという説は, 陰陽対転だけが根拠になっているが, 陰陽対転は, べつに歌部だけでおきるわけではない。 ほかの部が -d-g などの子音でおわっていたとかんがえないのであれば, 歌部にだけ -r だけをみとめる根拠は存在しない。

『詩経』でときどき鼻音韻母の字が開音節の字と韻をふむ現象を, 陳の方言だとする説があるようなので, 国風について実際の例をみてみる。

  1. (?)邶風・匏有苦葉: 軓・牡 (段玉裁『六書音均表』の説。現在の本は軓でなく軌に作る)
  2. (?)邶風・北門: 敦・遺・摧 (ただし敦には都回切の音もあり)
  3. 邶風・新台: 泚・瀰・鮮
  4. 鄭風・女曰鶏鳴: 来・贈
  5. (?)秦風・小戎: 群・錞・苑 (錞は『経典釈文』に「徒対反。旧徒猥反。一音敦。鐏也」という)
  6. 陳風・東門之枌: 差・原・麻・娑
  7. (?)陳風・墓門: 萃・訊 (ただし訊は誶の誤とも)
    追記: 阜陽漢簡は「誶」に作る
  8. (?)陳風・月出: 照・燎・紹・惨 (ただし惨は懆の誤とも)

はっきりしたことは言いにくいが, いちおうたしかに邶風と陳風にかたよっているようにもみえる。 また, 詩経以外に, 屈原の作品や老子にも陰陽対転がみられる。 『史記』が老子の出身を苦県とするのがどのていど根拠のある話なのかわからないが, 苦県は陳のそばにある。 「陳や楚など, 南の方言では音節末の鼻音が脱落する傾向があった」 とかんがえれば, ますます歌部に -r を立てる必要はなかろう。
(ちなみに上の例で歌部の字がでてくるのは 6番めの陳風・東門之枌だけ)

つぎに王力のように歌部に韻尾がなかったとかんがえると, 歌部と魚部がどうちがっていたのか, という問題にこたえなければならなくなる。 王力は魚部が奥よりの a, 歌部が前よりの a だったとしているが, 韻尾がつく場合にはこの 2種類の a の対立が存在しないので, 音韻体系としてひどくいびつなものになってしまっている。 このような音価推定は, 特別な理由のないかぎりさけるべきだろう。 カールグレンは, 歌部の一部を -a として, 魚部は -o だったとするが, これでは入声の場合とそれ以外で魚部が異なる主母音をもつことになってしまい, やはり不適当である。
なお, 王力は『詩経韻読』(1980) 以降, 歌部の再構音を -ai に変えた。

いくつかの方言の白話音で歌韻が -ai のような音でおわっているのを, 上古音の反映とみようとする学者もある(ノーマンら)。 『漢語方音字匯』第二版をみただけでも, 温州方言に kai(箇; この字を魚部とする人もあるが, 歌部でよかろう) mai(蛾) ŋai(餓) sai(鎖) lai(螺) pai(簸) などが, 福州方言に xai(河) lai(籮) kuai(過) ŋuai(我) tuai(舵) puai(簸) p‘uai(破) muai(磨) suai(沙) muai(麻) などがみえる。 客家語では数がすくないが ŋai(我) ke/kai(箇) pai(跛) pai(簸) (ただし「我・跛・簸」は声調に問題あり) などがある (客家語の例は橋本萬太郎『The Hakka Dialect』より。 この本ではほかに「大・那」も例にあげる)。 これらがじっさいに上古音と関係するとすれば, 音節末に -i がなかったのが, あとから加わったとかんがえるより, さいしょあった -i が脱落したとかんがえたほうが自然である。 ただし, 張光宇『切韻与方言』 p.150 のように, 福州の -uai を上古音の反映ではなく後世の発達だとみようとする人もあることに注意する必要はある。

頼惟勤の は, かなり不安定な音であり, 歌部のように字数の多い部がこのような韻尾をもっていた可能性はひくい。

以上から, 歌部は -j でおわっていたものとかんがえるのが, もっとも妥当ということになる。

投稿時刻 2006-10-19(辛巳) 14:57言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (7)

藤堂明保『中国語音韻論』の方式では歌部は -ar という韻をもつ。 語頭子音のほうは中古音とおなじだったとかんがえても矛盾しないから, 倭はふつうは 'rjwăr, 国名のとき 'war であったことになる (この本では語頭の声門閉鎖音を中黒であらわしているが, 見づらいので, 「'」で代用する)。 'rjwăr というのは藤堂氏一流の「音韻的」表記で, 音声的にかけば 'ɪuăr になる。 ほかの本では ɪ のかわりに ï を使っていることもある。

藤堂説は『音韻論』を称しながら, あまり音韻的ではない。 たとえば -rjwăr に対立する -rjwar は存在しないのだから, 主母音は単なる a でかまわないはずである。 また, r は中古音で重紐三等に属しているためについているのだが, 上古歌部の字は中古音で原則として重紐四等にならないのだから (ただし例外が『広韻』に 6字あり), これも必要ない。 けっきょく 'jwar でかまわないことになる。

李方桂が「倭」を歌部とかんがえているかどうかわからないが, 歌部だとすると藤堂説とそれほどかわらず, 国名のとき 'war, それ以外のとき 'wjar になる。 'jwar でなくて 'wjar なのには理由があって, 上古音には(いまの広東語と同様に) kw-, khw-, gw-, ngw-, hw-, 'w- という唇音化した軟口蓋音があった, と李方桂がかんがえていることによる。 上古音ではこれ以外の声母のあとに合口の介母(-u-)がつづくことがほとんどない (もともとはヤホントフの説)。 じっさいには李方桂は -uan, -uat, -uadh, -uar などの例外をみとめているが, これらも上古音よりもっと古い時代にはそれぞれ -un, -ut などだったのだろうとする。

では, 以上の藤堂・李の音価推定が妥当かどうかを見ていく。 まず韻尾の -r から。

藤堂・李はともに上古音に -g, -d などの韻尾をみとめている。 これは伝統的に「陰入対転」とよばれる現象, たとえば日本漢字音でいうと 「度」にド・タク, 「悪」にオ・アク, 「易」にイ・エキの 2種類の音があるが, このようにひとつの字に母音でおわる音と入声の両方があるといった現象を説明するために, ジーモンがかんがえたものである。 しかし, この説は

  • 中国語諸方言にも, 周辺の言語にも, 音節末の -k と -g を区別する言語はない。
  • 中国語の入声は外破しない(IPA 用語でいう no audible release の) 音であり, 有声と無声の区別がつけにくい(つけられないわけではない)。
  • 後世母音でおわる字が上古音で子音でおわっていたとかんがえると, 上古音は閉音節ばかりだったということになってしまう。
  • 陰入対転がおきるのは, 去声と入声のばあいがだいぶぶんである。 -g, -d があったとすると, ほかの声調で陰入対転があまりおきないことが説明しにくい。

など, さまざまの難点をかかえていた。 ほかに陰入対転をうまく説明できる名案がないので, 多くの学者が採用していたが, はやくから中国では王力, 日本では頼惟勤といった人は, 中古の開音節の字が上古で閉音節であったという説を (すくなくとも平声・上声においては)しりぞけていた。

上古音に -g, -d をみとめる説の旗色が本格的にわるくなったのは, 中国語とチベット・ビルマ語の比較がすすんでからのことである。 Weldon South Coblin (1986) 『A sinologist's handlist of Sino-Tibetan lexical comparisons』では, 李方桂の上古音によって, 中国語とチベット・ビルマ祖語を比較しているが, 上古音に -g, -d のある語にはチベット・ビルマ祖語の開音節の語が対応することが多い。 Coblin はいちおう -g はチベット・ビルマ語の韻尾ゼロまたは -w (円唇母音のあとで), -d はチベット・ビルマ語の -y に対応すると図式化しているが, さいしょから上古音に -g, -d がなかった, とかんがえたほうがずっと自然である。 バクスター等の新しい上古音の体系では, -g, -d をみとめていない。

では, 歌部 -ar のさいごの r についてはどうだろうか。 これも陰陽対転を説明するためだけにかんがえられた子音で, 上古音で -r があるとされる語をチベット・ビルマ語と比較すると, やはり開音節に対応していることが多い。 チベット・ビルマ語にも -r-l は存在するが, それらはむしろ中国語の -n に対応している。 王力は歌部を韻尾がないものとし(-a), 頼惟勤は のような韻尾をかんがえ, バクスターは韻尾 -j をたてている。 ただ -g, -d とちがって, 陰陽対転は去声にかぎられるわけでないし, あまり多くはないがチベット・ビルマ語の -l が上古 歌部の字に対応していると解釈できる例もある。 さいきんでも鄭張尚芳のような人は, 歌部(の一部)が -l でおわるとしている。

(1回ぶんが長くなりすぎた……すみません)

投稿時刻 2006-10-16(戊寅) 16:24言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (6)

前回からだいぶ間があいた。 (4)および(5)の補足だが, 李方桂が「妥」の声母を hn- としながら 「綏」を stjəd とし, 董同龢が「妥」を歌部, 「綏」を微部にわけるのは, 矛盾しているのではなく, 「綏」が形声文字でないとかんがえたのかもしれない。 『説文通訓定声』も「綏」を「从糸从妥, 会意」とする。

さて, 「倭」を歌部とすることにはほかにもよい理由がある。 『類篇』は「逶」の異体字として「蟡」(虫偏に為)をあげるが, 「為」は歌部である (最初『類篇』を『説文』と書いていたが, まちがい。 あまり古い例ではなさそうなので無視したほうがいいかもしれない)。 小徐本に「委」を「禾」を声符とする形声文字であるとするのが, 『説文解字』 本来の形であるかどうかわからないが, 「禾」も歌部であるので, 「委」を歌部とかんがえれば, 形声文字としても不都合はすくなくなる(声母が一致しないが)。

また, 「委」にしたがう字をつかった擬態語には 「委蛇」(『詩経』羔羊), 「委委佗佗」(『詩経』君子偕老), 「倭遅」(『詩経』四牡), 「逶随」(王逸『九思』), 「逶迤」(『経典釈文』に引く『詩経』羔羊の韓詩異文), 「逶移」(劉向『九歎』), 「逶麗」(『史記』司馬相如伝) などがあるが, 「蛇・移・迤・髄」はいずれも歌部であり, これらは畳韻の語とかんがえられる。 「倭堕髻」も畳韻かもしれない。 もっとも上の例のうち「麗」は佳部であり, 「遅」は脂部である。 前者の「逶麗」については用例が漢代のものであり, 漢代には歌部と佳部は合流してしまっていた (羅常培・周祖謨『漢魏晋南北朝韻部演変研究』p.25) ので, これも畳韻として問題ない。 「倭遅」については前に書いたように「倭夷・郁夷・威夷」などの異文がある。 「夷」も「遅」とおなじく脂部であるが, 前半の「郁」は職部・「威」は微部で, いずれにしても畳韻の語ではなさそうだ。

投稿時刻 2006-10-16(戊寅) 08:51言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (5)

この 15 字を『広韻』の韻によって並べると下のようになる。 複数の音をもつ字もあるが, 表を複雑にしないため, 大徐本の反切と一致する音のみにかぎった。 かっこに入れたのは, n- 系統の子音(泥母・娘母・日母)ではじまる字。

支合脂合微合
(4.捼)2.倭,5.[歹委],11.諉,13.逶(6.痿),(7.緌)3.巍
(15.餧)1.委
12.踒8.[羊委],9.萎,(10.覣),(14.[金委])

このうち, 灰韻の 1字は前回「餒」のあやまりだろうとかんがえた字であるし, 脂韻の 2字はいずれも日母であり, かなりあやしい。 「巍」もこれだけ疑母(ng-) であって, 例外的である。 原則として「委」を声符とする字は中古では戈韻か支韻合口に属すると言える。

さて, この「委」を声符とする一群は, 伝統的に微部とかんがえられてきた。 おそらく『詩経』の押韻をおもんじたためであろうが, あの例だけでは はっきりしたことは言えないことは, すでに見たとおり。 また, 微部合口字は原則として中古の灰韻・皆韻・脂韻・微韻に分布する。 これは「委」を声符とする字の分布とひどくちがっている。

董同龢『上古音韵表稿』は, 伝統にしたがって「委」を微部とするが, この分布の問題をどう解決しているかというと, 微部の韻に通常の -əd 以外に -ər があったとかんがえ, 後者のばあいに戈韻や支韻合口が発生したとする (なお, 同書 p.55 によれば, これはもともと李方桂のアイデアであるようだが, 李方桂『上古音研究』には「委」の上古音についての言及がない)。 しかし表をよく見ると, -ər をもつ字のうちで中古に戈韻になっているのは, その大部分が「委」にしたがう字であり, それ以外は「火」およびそれを声符とする「[火β]」, 「蓑」, 「瘰(正確には「田」のかわりに「ム」を 3つ書く)」 しかない。

このうち「火」は明らかに微部なのだが, これが戈韻になったのは, タブー(「火」ということばを言うと火事になるなどの)をさけて言いかえたものではないか, という案をむかし聞いたことがある。

「瘰」については字形上のむずかしい問題がある。 この字の「田」の部分は, 「ム」 3つに書くものと「田」 3つに書くものの 2種類があり, 前者が戈韻や支韻に, 後者が脂韻に主に分布する。 両者がごっちゃになる前は, 「ム」 3つのほうは微部ではなかったのではないかとおもわれる。 なお, 「瘰」は現行の『説文解字』には見えない字だが, 左伝桓公六年伝につけた『経典釈文』に, 「蠡, 力果反。説文作瘰, 云: 瘯瘰, 皮肥也。」 とある。 「累」にしたがう戈韻の字は, ほかにも「螺」や「蔂」などがある。

「蓑」は『詩経』にも出てくる(韻はふまないが)字で, おそらく「衰」を声符とする字は, 例外的に歌部と微部の両者に属したとかんがえるしかないとおもう。 「妥」もこのタイプに属する。 董同龢は「妥」についてはなぜか歌部に入れている。

「委」を声符とする字については, 戈韻と支韻が主で, 数も多いので, 微部とかんがえるよりも, 分布からかんがえて歌部とするのがより適当であろう。 じっさい, 藤堂明保は歌部に所属させている (『中国語音韻論』の諧声音符表では微部になっているが, これは江有誥や朱駿声の表をもとにしたため)。

投稿時刻 2006-09-27(己未) 18:11言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (4)

この 15字のうちで, 『詩経』で押韻しているのは, 9. の「萎」だけだ。 小雅・谷風の三章に 「習習谷風, 維山崔嵬。無草不死, 無木不萎。忘我大徳, 思我小怨。」 とあるのがそうだ。 「崔嵬」はほかに巻耳でも押韻していて, 微部に属する。 したがって, それと押韻している「萎」も微部, といいたいところだが, そうすると最後の「怨」(元部)が押韻せずに浮いてしまう。 王力『詩経韻読』では「微元合韻是旁対転。」というが, 納得しがたい。 せっかくの押韻例だが, これだけから何かを言うのはむずかしい。

王先謙『詩三家義疏』によると, 『玉篇』の引く韓詩には「崔嵬」を「岑原」にしている。 この場合「原・怨」が韻をふんで(声調がちがうが), 「萎」が浮くことになる。 また徐幹『中論』の引く詩(王先謙によると魯詩)では, 「習習谷風, 惟山崔巍。何木不死, 何草不萎」 と, 「嵬」でなく「巍」になっている。 「巍」は『説文解字』によると「委」が声符だから, 「萎」と韻をふむのは当然, ということになる。 テキストに問題の多い詩のようだ。

『詩経』が「倭」の音をかんがえる材料としてつかえないことがわかったが, まだ方法はある。 中古音の分布をしらべる方法だ。

しかしその前に, 15. 「餧」についてかんがえる必要がある。 「「倭」字について (2)」に書いたように, 『干禄字書』では 「餒」を奴罪反, 「餧」を於偽反としている。 ところが大徐本は「餧」を奴罪反としているので, 『干禄字書』と矛盾している。 段玉裁は, 『論語』郷党「魚餒而肉敗, 不食。」につけた『経典釈文』の 「奴罪反。説文云: 魚敗曰餒。本又作[魚妥]。字書同。」 および, 『爾雅』釈器「肉謂之敗, 魚謂之餒」の『経典釈文』 「奴罪反。説文云: 魚敗曰餒。字書作[魚妥], 同。」 を根拠に, 『説文解字』にはほんらい「餒」と書かれていたとする。 どういうわけか『説文解字』には「妥」の字が載っていないのだが, 許慎の当時もこの字はあったはずで, 「妥」を声符とする「綏・桵」は『説文解字』に載っている。

音のうえからいっても, 「餒」であったほうが理屈にあうので, 段玉裁の修正を受けいれたほうがいいだろう。 「綏」は『詩経』でしばしば押韻字としてつかわれていて, 微部であることがあきらかだが, 「奴罪切」ということは賄韻(灰韻の上声)で, 上古で微部の字は中古音でしばしばこの韻になる (ただし, 「妥」は中古果韻(戈韻の上声)で, 微部らしくない)。 声母(音節頭子音)についても, 中古音で「妥」は th-, 「綏」は s-, 「奴罪切」は n- であるが, このように n- と s- と th- がおなじ声符をとることはほかにもある。 n- と th- の関係について, 李方桂は上古において無声の n (hn) があり, これが(直音で) th- になったという仮説を立てた。 また「綏」については sn- のような複声母をかんがえるべきだろう。 (李方桂は上古音に sn- があったことを認めているにもかかわらず, 「綏」の上古音を stjəd とするが, りくつが合わない。)

さて, そうすると, のこりの 14字の中にも, ほんらい声符が「妥」だったものがあるのではないか, という疑いが生じる。 げんに段玉裁は 4. 「捼」も「挼」が正しいとしている。 ほかに n- のような音(泥母・娘母・日母) ではじまっている字には, 6. 「痿」, 7. 「緌」, 11. 「諉」, 14. 「[金委]」がある。 このうち 7. 「緌」については, 「綏」がべつなところに載っているので, つくりが「妥」でなかったことがあきらかだが, 「緌」の反切が「桵」とおなじなのが不審。 ほかの字の反切がまぎれこんだ可能性がある。 とにかく, これらの反切をあつかうときは注意する必要がある。

投稿時刻 2006-09-26(戊午) 17:29言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (3)

『漢書』の「倭人」についての話の注には, こうある。 すくなくとも顔師古の時代(7世紀はじめ)には, 国名の「倭」のときとそれ以外のときとで, 発音が大きく異なっていたことがわかる。

如淳曰: 如墨委面, 在帯方東南萬里。 臣瓚曰: 倭是国名, 不謂用墨故謂之委也。 師古曰: 如淳云「如墨委面」, 蓋音「委」字耳。 此音非也。 「倭」音一戈反, 今猶有倭国。 『魏略』云: 倭在帯方東南大海中, 依山島為国。 千里, 復有国。 皆倭種。

「倭」字のふつうの読みは平声で(『広韻』の「於為切」), 上声の「委」とは異なるが, 「委」字も「委蛇」というときには平声なので, 注者はあまり気にしなかったのかもしれない。

「於為切」, つまり「委」と声調のみ異なる音と, 「烏禾切」とか「一戈反」とか書かれている, つまり「ワ」の 2つの音がある理由を知るには, 上古音についてかんがえる必要がある。

上古音を知るための主な材料は韻文(とくに『詩経』)の押韻と形声文字の声符, および後世の音だ。 『詩経』は大部分の詩が作者不明で, 「「倭」字について (1)」 にも書いたようにテキストの問題が大きく, 押韻していない字の音は知りようがないし, 音節頭の子音など, 韻以外の部分については何もわからない。 形声文字は『詩経』以上に作られた時代と地方がはっきりしない上, 声符をおなじくする字どうしがどのていど近い音だったかがあきらかでない。 そのような問題があるにせよ, 『詩経』の押韻から帰納される韻の体系と, おなじ声符の字どうしをまとめた体系が基本的には一致するので, この材料でいちおう上古音のおおまかな点は知ることができる。 細部についてはわからないことが多い。

さて, 「倭」字は『詩経』では四牡に 1回でてくるだけで, 押韻していないので, 必然的に形声文字のほうにたよることになる。 『説文解字』で「委」を声符にする字はなかなか多いが, あまり使わない字が大部分だ。 下に並べてみた。 なおテキストと反切は大徐本によった。[357a] のように記したのはカールグレンの番号。

  1. 委, 委随也。从女从禾。(於詭切) [357a]
    (小徐本には「从禾声」とする)
  2. 倭, 順皃。从人, 委声。詩曰: 周道倭遅。(於為切) [357b]
  3. 巍, 高也。从嵬, 委声。(牛威切) [569s]
  4. 捼, 推也。从手, 委声。一曰両手相切摩也。(奴禾切)
  5. [歹委], 病也。从歹, 委声。(於為切)
  6. 痿, 痹也。从疒, 委声。(儒隹切) [357c]
  7. 緌, 系冠纓也。从糸, 委声。(儒隹切) [354e,357h]
  8. [羊委], 羊相[羊責]也。从羊, 委声。(於偽切)
  9. 萎, 食牛也。从艸, 委声。(於偽切) [357d]
  10. 覣, 好視也。从見, 委声。(於為切)
  11. 諉, 累也。从言, 委声。(女恚切) [354f,357i]
  12. 踒, 足跌也。从足, 委声。(烏過切) [357g]
  13. 逶, 逶迤, [衣<牙]去之皃。从辵, 委声。或从虫為。(於為切) [357e]
  14. [金委], 側意。从金, 委声。(女恚切)
  15. 餧, 飢也。从食, 委声。一曰魚敗曰餧。(奴罪切) [357f]

『広韻』だと, 「委」を声符とする字が, このほかに 10個ほどある。

投稿時刻 2006-09-26(戊午) 09:47言語::中国語 | コメント (0)

「倭」字について (2)

魯の宣公の名が「倭」だった, という話がある。 左伝宣公元年の『経典釈文』に, 「宣公, 名倭, 一名接, 一名委。 文公子, 母敬嬴。 謚法: 善問周達曰宣」 とあるのがそれだ。 なぜ「倭・接・委」と 3つも名前があるのかよくわからないが, 「倭」と「委」は単にどっちを書いてもかまわなかったのかもしれない。 「接」は右下が「女」になっているところが「倭」と似ていて, もとは誤記だった可能性がある。

いっぽう『史記』の魯世家には, 「文公有二妃。長妃斉女哀姜生子悪及視。次妃敬嬴嬖愛生子俀。」 という(さいごの「俀」(U+4FC0)は人偏に妥)。 ただしその 3行くらいあとでは「襄仲殺子悪及視而立倭」と「倭」になっている。 人偏に妥の字の下の注に 「徐広曰: 一作倭。索引曰: 音人唯反。」 とあるので, (『史記索引』の音が気になるものの) 人偏に妥の字は「倭」の異体字にすぎないのだろう。 もちろん「委」と「妥」は別字なのだが, つくりになるときにはしばしば通用したもののようだ。 『干禄字書』に「餒餧」をならべてわざわざ「上奴罪反, 下於偽反」 とことわっているのも, この字書が作られた当時, このふたつが混同してつかわれていたためとかんがえられる。

「倭」の意味を『説文解字』に「順皃」といい, 切韻系韻書(完本王韻・広韻)に「慎皃」というが, じっさいにこの意味で用いた例はなく, 「倭」字は固有名詞か, または多音節の擬態語を表記するためにつかわれている。 つまり表音文字として使われている。 後者の例としては, 前回あげた「倭遅」のほかに, 「倭傀」, 「倭堕髻」がある。

  • 「倭傀」は『文選』におさめる王褒『四子講徳論』に 「毛嬙・西施, 善毀者不能蔽其好; 嫫姆・倭傀, 善誉者不能掩其醜。」 という形で出てくる。 「西施」と対になっており, 醜女の名であることがわかる。 注には「倭傀, 醜女。未詳所見。倭, 於為切。傀, 古回切。」 という。 『淮南子』脩務訓に, よく似た 「曼頬皓歯, 形夸骨佳, 不待脂粉芳沢而性可説者, 西施・陽文也; [口巻][月癸]哆噅, 籧蒢戚施, 雖粉白黛黒弗能為美者, 嫫母・仳倠也。」 という文があるので, ふつうは「倭傀」=「仳倠」とかんがえられているようだが, 音が異なる。
  • 「倭堕髻」は古辞陌上桑(日出東南隅行)に 「頭上倭堕髻, 耳中明月珠」 というのがそれで, 女性の髪型の名らしい。 「歴代佳人時世妝」 (BIG5) の「雲鬢篇・先秦両漢」に写真が載っているが, ほんとうにこれがそうなのかどうかわからない。 「昔のポニーテール」という説明も見たが, この写真をみるかぎりポニーテールとはちょっとちがいそうだ。

『広韻』では「倭」に「於為切(支韻)」「烏禾切(戈韻)」「烏果切(果韻)」の 3音がある。 「烏禾切」は倭人の倭の場合にだけ, 「烏果切」は上の「倭堕髻」の場合にだけこの音で読むようで, それ以外は「於為切」になる。 もっとも『完本王韻』の「倭」には「烏果切」の音がない。 「他果反」のところに「堕」があり, そこの説明に「俀〻髻。又徒果反」とある。 (ここでも人偏に妥の字が「倭」の異体字としてふつうに使われていたことがわかる。) 『完本王韻』では「倭堕髻」の「倭」を「倭遅」とおなじように読ませるつもりなのか, それとも『広韻』と同音だが載せわすれただけなのか, よくわからない。

投稿時刻 2006-09-25(丁巳) 17:01言語::中国語 | コメント (0)

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