魯の宣公の名が「倭」だった, という話がある。 左伝宣公元年の『経典釈文』に, 「宣公, 名倭, 一名接, 一名委。 文公子, 母敬嬴。 謚法: 善問周達曰宣」 とあるのがそれだ。 なぜ「倭・接・委」と 3つも名前があるのかよくわからないが, 「倭」と「委」は単にどっちを書いてもかまわなかったのかもしれない。 「接」は右下が「女」になっているところが「倭」と似ていて, もとは誤記だった可能性がある。
いっぽう『史記』の魯世家には, 「文公有二妃。長妃斉女哀姜生子悪及視。次妃敬嬴嬖愛生子俀。」 という(さいごの「俀」(U+4FC0)は人偏に妥)。 ただしその 3行くらいあとでは「襄仲殺子悪及視而立倭」と「倭」になっている。 人偏に妥の字の下の注に 「徐広曰: 一作倭。索引曰: 音人唯反。」 とあるので, (『史記索引』の音が気になるものの) 人偏に妥の字は「倭」の異体字にすぎないのだろう。 もちろん「委」と「妥」は別字なのだが, つくりになるときにはしばしば通用したもののようだ。 『干禄字書』に「餒餧」をならべてわざわざ「上奴罪反, 下於偽反」 とことわっているのも, この字書が作られた当時, このふたつが混同してつかわれていたためとかんがえられる。
「倭」の意味を『説文解字』に「順皃」といい, 切韻系韻書(完本王韻・広韻)に「慎皃」というが, じっさいにこの意味で用いた例はなく, 「倭」字は固有名詞か, または多音節の擬態語を表記するためにつかわれている。 つまり表音文字として使われている。 後者の例としては, 前回あげた「倭遅」のほかに, 「倭傀」, 「倭堕髻」がある。
『広韻』では「倭」に「於為切(支韻)」「烏禾切(戈韻)」「烏果切(果韻)」の 3音がある。 「烏禾切」は倭人の倭の場合にだけ, 「烏果切」は上の「倭堕髻」の場合にだけこの音で読むようで, それ以外は「於為切」になる。 もっとも『完本王韻』の「倭」には「烏果切」の音がない。 「他果反」のところに「堕」があり, そこの説明に「俀〻髻。又徒果反」とある。 (ここでも人偏に妥の字が「倭」の異体字としてふつうに使われていたことがわかる。) 『完本王韻』では「倭堕髻」の「倭」を「倭遅」とおなじように読ませるつもりなのか, それとも『広韻』と同音だが載せわすれただけなのか, よくわからない。
投稿時刻 2006-09-25(丁巳) 17:01 於 言語::中国語 | コメント (0)