第一神殿造営の年

岡崎勝世『聖書 vs. 世界史』の p.13 に, いろいろな学者が, 聖書上の事件が天地創造以来何年めにおこったとかんがえたかを記した表がある。 その表のなかで, 七十人訳聖書の「一般的写本」では, 出エジプトが 3819年, 第1神殿の造営が 4529年となっている。 ということは出エジプトから第1神殿まで 710年? このほかに七十人訳の「コンスタンチノープル版」では 601年, ヘブライ語版正典では 540年, ヘブライ語版異本では 580年, サマリタン版正典では 480年, サマリタン版異本では 592年になっている。 これらの年数の出典は, 「Allegemeine Welthistorie. 1. Theil, 1774, S. 102f.」 とある。 おなじ表は岡崎勝世『キリスト教的世界史から科学的世界史へ』にも見える。

おそらく列王記上6:1 の値を根拠としているのだろうが, 手元のシュトゥットガルト版七十人訳では 440年になっており, 異文として 480年があることが記されている。 ウルガタは 480年。 ヘブライ語では 480年になっているが, 七十人訳の 1本には 440年に作ると書いてある。 こうしてみると, 440年と 480年しかないようなのだが, どうなっているのだろう。

なお, ルツ記や歴代誌上2:10 によれば, 出エジプト時のナフションからソロモンまでは 6世代にすぎないので, じっさいには 480年もたってはおらず, せいぜい 200年というところだろう。

投稿時刻 2007-02-02(丁卯) 18:42世界 | コメント (0)

パラオ大使館から返事が来た

パラオについて, 以下の 3件についてパラオ大使館に質問してみましたが, 下のような返事がかえってきました。 答えてくださったパラオ大使館に感謝します。

1. 「CIA の The World Factbook -- Palau で, アンガウル州ではアンガウル語・日本語・英語が州の公用語になっていると書いてあるが, これは本当か」 という質問に対しては, 「ほかの州と同様, パラオ語と英語が公用語だ。 高年齢のパラオ人には日本語を流暢に話す人が多いが」 という答がかえってきました。

2. 「Web サイトで音声ファイルが公開されていた(現在はつながらない) カヤンゲル州の州歌の歌詞が, ききとりにくいが日本語のように聞こえるが, 何と言っているのか」 という質問に対しては, 「カヤンゲル州の歌は知らないので, 日本語かどうかわからない」 という答でした。

3. 「パラオの国旗のデザインは日本の国旗の影響をうけているのか」 という質問については, 「パラオの国旗は背景の青が空で, 円が月である。 パラオの旗と日本の旗の関係については, 月が太陽から光を得ているという以外のことはわからない」 という答でした。

質問には, 確認できる資料があったら教えてほしいということを書いておいたのですが, それには解答がありませんでした。 「アンガウル語」なる言語が実在するかどうかも疑問だったのでたずねてみたのですが, それにも解答がありませんでした。 ちょっといっぺんにまとめてたずねすぎたかもしれません。

投稿時刻 2006-05-12(辛丑) 09:29世界 | コメント (10)

「シーア派の旗」とは?

2003年8月に, イラクで米軍が「シーア派の旗」を除去しようとして, それがもとで暴動がおきたことがあった。 Shi'ite Religious Flags (Iraq) によると, このとき除去の対象になった旗は, 黒地に白で字が書いてあったようだ。 これを 「アル・マフディー(またはマハディー)の旗」 とよぶばあいもあるようだ。 ここでいうマフディーとは, 12番めのイマームであるムハンマド・アル・ムンタザルのこと。 「Sudan - Flags of the Mahdi」 では, ひとりは「マフディーの旗は黒地だ」といい, べつな人は何種類かあると言っている。 スーダンでマフディーを自称した人がエジプトに対して反乱をおこしたのは近代の話なので, これはまた別の話かもしれない。

しかし, 黒旗はシーア派にかぎったものではなく, 「Evolution of the Arab Flag, by Dr. Mahdi Abdul Hadi」 などに説明されているように, 黒はムハンマド, 白はウマイヤ朝, 赤はハワーリジュ派, 緑はファーティマ朝の旗とふつうはかんがえられている。 この 4種のなかでシーア派なのはファーティマ朝だけだ。 ちなみにファーティマ朝をはじめたアブドゥッラー・アル・マフディーも 「マフディー」 なのでまぎらわしい。

ということは, 「シーア派の旗」というのはデザインがきまっているわけではなくて, 「シーア派に関係ある文句を記した旗」という意味なのだろうか? よくわからない。

朝日の記事 「スンニ派17人殺される シーア派聖廟爆破事件で報復か」 (2006-02-23) に 「[スンニ派] モスクにシーア派の旗が掲げられたり放火されたりした。」 と書いてあるが, この「シーア派の旗」が黒旗なのかどうかはわからなかった。

投稿時刻 2006-04-28(丁亥) 10:24世界 | コメント (0)

年末に読んだパラオ関係の本

  • マーク・ピーティー, 浅野豊美訳『植民地 -- 帝国50年の興亡』(読売新聞社, 1996)
    「20世紀の日本」シリーズの第4巻。 Mark Peattie 氏には 『Nan'yō: The Rise and Fall of the Japanese in Micronesia, 1885-1945』 (University of Hawaii Press, 1988) という日本の南洋統治に関する専著があり, この本でも南洋について詳しくふれられている。 ほかの植民地(朝鮮・台湾)とのちがいについて, 「南洋での商業の成功が、 日本帝国の他の植民地の大部分と異なっていたのは、 ミクロネシア人の労働力をほんのわずかの程度しか用いなかったことである。」 「南洋庁が初等教育の学校を作り(中略) 島民の物質的精神的な福祉向上のためにいくらか努力したことは事実である。 しかし、 国際連盟の委任統治に関する規約が要求している島民の「社会的進歩」を進めることは、 ほとんど何もなかった。」 (p.116) と述べる。 すでに矢内原忠雄が 1937年に, 土着の住民の福祉を考えないことを批判している(p.272)。 また, 朝鮮・台湾では日本からの大規模な移民が成功しなかったのに対して, 南洋には日本の貧民層が多く移住し, マリアナとパラオはほぼ日本化された。 とくに本土では差別を受ける沖縄人が殺到し, 1939年には日本人全体の 6割を占める 45,000人が沖縄出身だった。 南洋には「本土の日本人 -- 沖縄・朝鮮人 -- 島民」の 3つの階層が存在したことについても述べる。 1920年代には男のみの移民が主だったが, のちに女もふえ, 1935年には日本人の男女比が 3:2 になった。
  • 渋谷勝己「パラオにおける日本語残存の実態」 (真田信治編『日本語の消滅に瀕した方言に関する調査研究』 2001, pp.285-299)
    パラオの日本語に関する渋谷氏の報告書の「序章」部分で, 戦前のパラオにおける日本語教育についての説明がされている。 上記ピーティーの本などを参考にしている。
    おなじ本の中の, 宮島達夫「台湾日本語研究の目的と質問例」は, ミクロネシアについても触れていて, おもしろい。 p.250 にたいへん賛成できる文章があったので, 引用。
    ミクロネシアでもこういうことがありました。 グアム島で日本人とアメリカ人とが結婚していて、 現地の人が日本人の男性のところへ来ると、 いや日本時代はよかった、 アメリカが来てからかえってこういう点でまずくなった、 というようなことを言うんだそうです。 ところが、 その同じ人が奥さんのアメリカ人の方へ行くと、 そのれたりが夫婦だということは知らないので、 日本時代はひどかった、 アメリカが来てよくなりました、 というようなことを言うらしい。 相手が言うことをそのまま受け取っていいとはかぎらない。 とくに日本人相手に言うばあいには、 いろいろ割り引いて考えなきゃいけないだろう。
    リップサービスをそのまま受けとらないように気をつけなくては。
  • 渋谷勝己「パラオに残存する日本語の可能表現」 (渋谷勝己編『環太平洋地域に残存する日本語の諸相 (1)』2002, pp.81-95)
    上のつづき。 五段活用でも可能動詞形よりも「レル」を多用する傾向があるが, ヤップでは「スルコトガデキル」が日本の日本語より多くなっているのに対し, パラオではより日本の日本語に近いそうだ。 2000-2001年に調査をしたときの報告だが, インフォーマントは 1929-1933年の生まれで, ひとりは 2000年に, もうひとりは 2001年に死亡したそうだ。
  • 須藤健一・倉田洋二編『パラオ共和国 -- 過去・現在そして未来へ --』(おりじん書房 2003)
    大版の本で, 価格が 2万円もする。 冒頭にレメンゲサウ大統領からのあいさつが載せられているが, 本文は右から左までいろいろな人の文章のよせあつめのようだ。 渋谷勝己も書いているが, 短い(pp.541-550)。 滑川裕二「ペリリュー神社再建由来記」も載っている。
    パラオ共和国憲法全文の日本語訳がある。 p.714 にパラオの国旗として, Ngeremlengui州のブラウ・スケボン氏によるデザインを選んだことと, その選定理由を記しているが, もちろん日の丸をもとにしたとは書いてない。
    日本人統治時代は, 日本人・沖縄人・パラオ人の三重構造の底辺にいたパラオ人だったが, 戦後, 差別はなくなったものの, 米国は生活を向上するための施策をおこなわなかった。
  • 由井紀久子「ミクロネシアの日本語 -- 形成と機能 --」, 『国文学解釈と観賞』 2000年7月号
    この号の特集は「日本語のウチとソト」で, 琉球語・朝鮮の日本語・台湾の日本語などの記事がある。
    由井氏の記事のうち, 戦前の練習生・公学校・人口統計などについては, おおむね渋谷氏の上記記事の内容と重複する。 南洋の島民は日本人の小学校へ行くことができず, かわりに 3年間の公学校へ行く。 授業の内容は半分が(日本の)国語の学習についやされた。 一部のものはそのあと補習科へ行く。 公学校へは通学できたが, 補習科は寄宿舎に住み, そこでは日本語が強制された。 公学校3年生以上は, 「練習生」と称して, 日本人の家で家事・子守などをすることを通じて, 日本の生活習慣を身につける制度があった。 補習科の卒業後, パラオにある木工徒弟養成所(建築・機械・土木科など)に進むのが, 島民としては最高の教育だった。 現在のパラオの教育が日本統治時代と大きく異なるのは, 中等以上の教育が受けられるようになった点。
    現在も, ヤップとパラオなど言葉が異なる人どうしが会話をするときに, 古老層は日本語を共通語とすることがある。 カタカナも使用し, 日本語だけでなく, ヤップ語やパラオ語を記すのにも用いられている由。 日本語からの借用語についても触れる。「かい(貝)」が借用されたという話はおもしろい。
  • 柏木高雄・山田修編『異文化の交流』(大阪大学出版会 1996)
    第6章「ミクロネシアの文化交流史」(小松和彦), 第7章「ミクロネシアの日本語」(由井紀久子) が関連する。 敬体に統一された文章が気持ちわるくて, やや読みづらい。
    6章, 南洋庁下で発展した近代的な産業に従事したのは日本人で, ミクロネシア人は「島民」として差別されたが, そのおかげで, 戦後日本人が強制送還されたとき, パラオ人の生活に大きな影響をおよぼさなかった, という指摘はおもしろい。
    7章, ハワイ大の『New Palauan-English Dictionary』からひろった日本語からの借用語の一部が p.147 に載っている(A,B,Cまでの部)。 詳しくは, 由井紀久子「ミクロネシア諸語に取り込まれた借用語対照表」 (京都外国語大学研究論叢 LII-LV) があるそうだ。 セレモニーで若者が踊るおどりの中に, 歌詞が日本語のものがあるという指摘。 「マーチの足ぶみのリズムはアインス・ツバイとドイツ語でとっていますが, 歌っている歌は日本語の歌のようです。 歌を教えるお母さんたちも日本語を知らない世代ですので, ところどころ歌詞が分かりにくくなっています。」 うんぬん。
  • Neil M. Levy 『Moon Handbook: Micronesia』 6th edition (Avalon Travel 2003)
    パラオ・ミクロネシア連邦・北マリアナ・マーシャル諸島・キリバス・ナウルをあわせて, ぜんぶで 300ページていどの, 簡単な旅行ガイドブック。 ミクロネシアの旅行ガイドには, ほかに Lonely Planet シリーズのものがある。 日本語で書かれた旅行ガイドはみあたらなかった。 日本統治時代のパラオについて(p.147), 「主に本国の利益のために大規模な経済的開発をおこない, 大量の移民をパラオに送りこんだ。 熱帯雨林の大部分を破壊して, 砂糖・米・パイナップルなどを栽培したが, これらの畑や燐・ボーキサイト鉱山で働くパラオ人労働者にはほとんど給料を払わなかった。 日本人はパラオの土地を奪い, 伝統的な首長は日本の官吏に置きかえられた。」 と述べる。 熱帯雨林破壊うんぬんは言いすぎのようにも思うが, 立場がかわるとどんなに記述が変わるか, ということの好例だろう。

投稿時刻 2006-02-05(乙丑) 12:27世界 | コメント (2)

当然解散

すのものさんのいろいろ(3/16) 「ベルギー国憲法の改正手続きには国民投票はないが」 の, 「当然解散となる」という箇所について。

ベルギー上院のサイト によると, フランス語 では 「Après cette déclaration, les deux Chambres sont dissoutes de plein droit.」 となっている。 「de plein droit」は, 「当然」という意味もあるようだが, Petit Robert の 3. droit によると 「de plein droit」 は 「sans qu'il soit nécessaire de manifester de volonté, d'accomplir de formalité (意思表明や手続きをする必要なしに)」 という意味であって, ふつうの解散の手順を経ないでただちに解散するという意味ではないだろうか。

オランダ語 では, 「Na deze verklaring zijn beide Kamers van rechtswege ontbonden.」 となっている。 オランダ語はわからないが, 「van rechtswege」は ドイツ語 で 「Nach dieser Erklärung sind beide Kammern von Rechts wegen aufgelöst.」 とある, 「von Rechts wegen」と, たぶんおなじ意味なのだろう。 小学館の独和大辞典によると, 「法によって(従って); ((比)) 当然, 本来」だそうだ。 「法によって」だと上にフランス語でかんがえたこととちがってくる。 ドイツ語でもフランス語でも法と権利と正義がおなじことばなので, どっちの意味なのかわからなくなることがある。

英語 では, 「Following such a declaration, the two Chambers are dissolved by full right.」 となっているが, 「by full right」というのは辞書にみあたらない。 フランス語の逐語訳か? ちなみに「by full right」を Google で検索すると 272件あり, ベルギー憲法が 5番目に来る。

投稿時刻 2005-03-18(辛丑) 00:05世界 | コメント (4)

パラオ(ベラウ)国旗と日章旗の関連をうたがう

「パラオは親日国なので, その国旗も日章旗に似せてつくられた」 という話を記したページが大量にある。 しかし, それらはほぼすべて日本人によって書かれたページであって, 日本人以外によるものはまずないといってよい。 このことから, 日章旗模倣説は, どうも都市伝説にすぎないのではないかとおもう。

だいぶ以前に, 「フィンランドでは日露戦争でロシアを破った日本人に感謝しているので, 東郷ビールというビールまで作った」 という伝説がながされたことがあったが, げんざいはそれがあやまりであることがあきらかになっている。 だれか, 「世界のどこかで戦前の日本に感謝している国がある」 ことを信じたい・信じさせたい人が, フィンランドにかわってパラオにあらたな伝説をもとめたのではなかろうか。

ないしは, 日本と友好的な関係をむすびたいパラオ人のリップサービスを真にうけたか。

投稿時刻 2005-02-25(庚辰) 12:55世界 | コメント (82)

Page 1 of 1: 1