親指同時打鍵に対する疑問の説いろいろ

NICOLA の親指同時打鍵による入力は, NICOLA を好むユーザーにとっては, 軽快でもっとも気持ちよく入力できるものとして好評であるが, この方式に対して疑問をいだく人々も少なくない。 その批判はおおまかに言って,

  1. 親指を多用することに対する疑問
  2. 同時打鍵に対する疑問
  3. シフト用に専用のキーが必要であることに対する不満
  4. 1仮名1打であること自体に対する疑問(学習困難その他)

に分かれる。 ここでは私の目にとまった代表的な批判の説を紹介する。 ただし最後のものは同時打鍵ではなく仮名入力すべてに対するものなので省略する。 もちろん, これらすべてに私が賛成しているわけではない。

1. 竜岡博「キーボード談議(6) 半世紀のユーザからの提案」 (『bit』1990年11月, pp.40-49)

竜岡博氏は 1935年から各種の日本語用キーボード配列を使用してきた経験者で, 自らも「mykey」などの新しい配列を考案しており, その発言には傾聴すべきところが多い。 竜岡氏は, 親指シフトよりも激しい同時打鍵方式であるソクタイプを仕事で使用しているが, 通常の入力において, シフトは「リズミカルなキー操作を大きく阻む要因」 であるとする。 オアシスの親指シフトについて, 次のように語っている:

同時に押せば, 速度が出ていいようだが, タイミングをとって同時押しする必要がある上に, 文字キーと同じ手の親指を使うときに起こりがちな手のひら全体の上下動や, 文字キーと反対の手の親指を使うときに必要な両手同時の上下動がやはりリズミカルなキー操作を乱す大きな要因になっている。

また, オアシスがワープロコンテストでトップになったのは, キーボードの配列のためではなく, 高頻度の語に短いコードを使ってコード入力をしたためである, とする。

同記事では TRON キーボードの設計も批判しているが, シフトに関するものではないので省略する。

なお竜岡氏は, ほかに「かな漢字変換方式のワードプロセッサのキー配列」 (情報処理学会研究報告「日本文入力方式」10-3, 1983) などでもシフト批判を展開しているそうだ。

2. 冨樫雅文「風花が舞う --かな漢字変換批判--」 (『The Basic』1991年8月, pp.18-25)

冨樫氏は日本語入力方式「風」やキーボード配列「花」の考案者であるだけでなく, 「キーマウス」や「らっこキーボード」のように入力装置のハードウェア そのものの改良も行なっている。

現行の平板なキーボードでの親指の使用について, 冨樫氏は一貫して不自然な動かし方であると批判的で, キーマウスなどの発明も, 親指が自然な方法で動かせるようにすることを目的のひとつとしている。 「花」は明かに親指シフトの影響を受けているのは確かだが (中指シフトという命名がそれを雄弁に語る), 上の理由で, 親指シフトそのものについては不満であり, このように語っている:

親指は力持ちのくせに普段はぶらぶらと遊んでいる. これを働かせない手はない. と, ここまではいいのであるが, しかし, 親指は他の 4指と少しばかり違う. 第一にその運動方向が 4指と直交している. これは, むかしサルだったころに木の枝をつかむのための構造がいまなお記憶されていることによる. スペースキーは, そのため, 手首を回転させて打つことが多い. また力持ちの親指は一般に動きが鈍い. したがってこれに頻繁な高速打鍵を期待することはできない.

また, 通常の文字キーの外側にシフトを設けたことも批判している。

冨樫氏が花を考案するに至った経緯は 花のくに でも読めるが, こちらには親指使用に関する批判はないようだ。

3. 森田正典 「各種日本文入力方式の性能の定量的比較」 (電子情報通信学会論文誌 D Vol. J70-D No.11 1987, pp.2182-2190) および 日本文入力方式と鍵盤方式の最適化 (同 pp.2047-2057)

森田氏は M式入力法の考案者である。 この論文は M式と親指シフト・新JIS・QWERTYローマ字を比較している。 親指シフトは配列が頻度に従っているために, 規則的な M式に対して記憶負担量が 8倍(QWERTYローマ字の3.7倍)と高く, 熟練に長い時間を必要とする。 また入力速度でも, キーの選択肢数が多く, 交互打鍵率が低く, シフトが多いために M式よりもやや劣っているという。

この論文については, 富士通の神田泰典氏が 反論 している。 ここで氏は「親指シフトの打鍵増加率30% がおかしい, 増加率はゼロだ」 といっているが, その一方, 大島章嘉等「標準時間法による入力方式別スピード比較実験」 (情報処理学会研究報告「日本語文書処理」11-1, 1987年17号, pp.1-8) でも同じようにシフトによる増加を 1.28 としているのに, 神田氏の 「各種キーボードの比較の論文」 で無批判にこれを紹介しているのはなぜだろうか。 親指シフトが一番という結論が出ているから構わないと考えたのだろうか。

また, 私見によれば, NICOLA を含む仮名入力方式で選択肢数が多いために遅くなるのは, 神田氏のいうような熟練の問題でなく, 脳の処理の問題だと思う。 タイピングソフトランカーとして有名なたにごん氏が, 雑記帖 2001年6月19日 で 「慣れないDvorak と 慣れたカナなら 慣れないDvorakのほうが「パイプライン」が短い。」 といっていることも本質的には同じだろう。

4. 増田忠 増田式キーボード学習法 のページ

キーボード学習法で有名な増田忠氏は, 自分でも「超絶技巧入力」という直接入力方式や 「チョイ」というかな入力方式を考案している。

親指シフトの教材も提供している同氏は, もちろん親指シフトを高く評価しているのだが, 手放しでほめているわけではなく, 入力方式を選びたい のページでは, 親指シフトの操作感について, 「親指の押し具合に好き嫌いあり。」と言っている。

また, 親指シフトは打鍵数が少ないから速く打てるという迷信については, テープ起こしなど、日本語入力のプロ(を目指す方)へ で, タッチタイプに熟練した人ならば,

ローマ字入力で、1時間当たりn千文字入力できる方が、かな入力や親指シフトに変えたら、2n千文字になるかと言 うと、話はそんなに簡単ではありません。
筆者自身や周囲での実験によると、同一人であれば最高入力速度はほとんど変わりません。

と言っている。 ただし打鍵数が少ない方が疲労は小さくてすむそうだ。 親指シフトの話ではないが, 一般ユーザーへのアドバイス の 「(JIS)かな入力は倍速で打てるのでは」でもまったく同様に,

しかし、 Aさんがローマ字入力で出せる速度をaとして、 それが不満で、 かな入力を練習したとします。 かな入力で2aの速度が出せるかと言うと、 出せません。 ほとんどaです。
つまり、 同じ人ならば入力速度には原理的に差は出ません。 Bさんでも同じです。 かな入力で高速なら、 ローマ字入力でも高速です。

といっている。

5. 山田尚勇 『日本語をどう書くか --入力法および表記法のヒューマン・インターフェース学入門-- 第二部 文章入力作業の歴史と人間工学』(中京大学情報学部テクニカル・レポート 1999)

キーボードを含む入力装置についての各種問題について, 非常に細かい考察をしている。 とくに親指シフトキーボードだけを対象にしているわけではないが, 第7章第2節 キーボードの大きさと形状「V.キーそのものの機能を高めるくふう」 では, 脳の運動野がほかの 4本の指に対して親指の領域だけが離れた位置にあること, 親指の運動の向きがほかの指と90度違っているために, とくにほかの 4本と親指の同時打ちを行なうときには手首の負担が大きくなり, 長時間親指を多用すると手首に障害があらわれかねないことを指摘している。 なお山田氏は親指のみならず現在主流のシフト自身に対して批判的であり, 同節ではアルファベットの入力について, 押す強さによって小文字と大文字を区別する案を紹介している。

また, 第7章第3節 特殊用途向きのキーボード「III.同時打ちキーの人間工学」 では, 同時打ちを使うステノタイプやソクタイプの単位時間あたりの打鍵数が, じつは順序打ちよりもかえって少ないことを指摘している。

ほかに, 「常用者のための日本文入力法の基礎的研究について」 において山田氏は, 親指シフトが仮名を 3段で打てることに関して, 3段で打つ必要があるのは今のキーボードが日本人にとって大きすぎるからで, 適当な大きさであれば, 4段全部使ってもタッチタイプは困難でないと述べている。

6. 木村清 理想のキー配列とは?

木村氏は AZIK や ACT などのローマ字かな変換方式の考案者。 親指シフトについて, 代替入力が使えない・ロールオーバーが使えない。 「他の方式よりも相当指の上下運動が頻繁に行われ、 バタバタという打ち方になるのではないでしょうか。 ちょっと滑らかさに欠け、 疲れるのではという印象をもっています。」 と語っている。

7. Cake (Shimada Keiki) Nakayubi Nicola

Cake 氏は中指NICOLAの考案者。 親指シフトでなく中指NICOLAを使っている理由は, その方が定義が簡単であること, 英語キーボードでも問題なく使えることのようだ。 また, 親指同時打鍵がないために, より気持ちよく入力できるようになっているかもしれない, という。

8. TRON キーボード派による批判

詳細を失念したが, 確か TRON キーボード擁護派の人が, NICOLA の親指同時打鍵は指の負担が大きくなる, という批判を展開していたことがあった。 Web 上で検索をかけたところ Gen Kawanishi 氏の猫友亭記 2002年8月13日 にそれらしい話が見られる。 (なお, 現在トップページからリンクをたどってこのページに来ることはできないようだ)


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