王力ローマ字について

(注: これは「いろいろ」に 2007年に連載した記事をまとめたうえで, 修正追記したものです)

目次

  1. 概要
  2. 本来の王力ローマ字の規則
  3. ローマ字規則の修正
  4. 常用漢字の王力ローマ字
  5. 同綴になる漢字の数
  6. 王力ローマ字と日本漢字音(訓令式ローマ字)の対応
  7. 問題点

概要

王力の「漢字改革」という文章(『龍蟲並彫齋文集』第二冊におさめる)に, 「区際羅馬字(La romanization interdialectique)」 または 「文言羅馬字」 というアイデアが出てくる。 中古音をもとにしたローマ字で, その読みかたを方言ごとにきめることにより, どの方言でも読めるようにしよう, という案である。 また, 同綴異字が少ないので, 文言をこの方法でローマ字化することも考えられている。

王力自身は, つづりと発音の関係が複雑すぎて実用的でないとして, みずからの案の実用化には消極的だが, おもしろそうなので, ここで紹介する。


本来の王力ローマ字の規則

つづり方の細則は載っていないが, 例から推測すると, おおむね中古音をもとに, 次のようにつづるらしい。

声母

幇b 滂p 並bh 明m 非敷f 奉v 微mv 端d 透t 定dh 泥n 知dj 徹tj 澄dhj 娘nj
精tz 清ts 従dz 心s 邪z 章dc 昌tc 船dsc 書c 常zc 荘zh 初ch 牀俟dch 生sh
見g 渓k 群gh 疑ng 影(ゼロ) 暁h 匣x 喩(于羊)y 来l 日gn

ほかに w があり, 喩母の「為wi 王wong」で使われている。

韻母

開合 舒声等位 入声等位
1234 1234
果仮 oaia
uouaüo(*1)
oi(*2)aiiai
uoi(*2)uaiüai
auaoiao
宕江 ongangiang okakiak
uong *3 uok *3
梗曽 enging ekik
uengiung uekiuk
onanian otatiat
uonuanüan uotuatüat
omamiam opapiap
開合 舒声等位 入声等位
134 134
uü
i
üi,ui *4
ouiou
ungüngukük
eninetit
unünutüt
im ip

注:

さらに, 以下のルールを適用する。

  1. 声母が軽唇音(f,v,mv) の場合, 拗音を直音にする
  2. 声母が正歯音二等(zh,ch,dch,sh) の場合, 拗音を直音にする

声調

平声と入声は何もつけない。 上声は v, 去声は x を接尾する。


ローマ字規則の修正

このローマ字から日本漢字音や諸方言音をみちびくためのルールをじっさいに作ってみようとしたが, 細部まで書いてないのと, 王力のローマ字では, 中古で異なる韻母をしばしばひとつにまとめているために, それらが異なる音に発展した方言では不規則が多くなってしまう問題があり, なかなかむずかしい。 そこで, 以下の点を改めてみた。

  1. 王力は, 于母と羊母をともに y としているが, これでは日本の漢音で異なる音になる「雨」と「癒」が同じつづりになってしまうので, 于母のほうを j に変える。
  2. 陽韻合口(üang) は, 于母のときのみ直音に変える(jüang → wong)。 「狂 ghüang」はそのままとする。
  3. 止摂合口の于母・羊母については, 王力の例が「為 wi」しかなく, どのように考えていたかわからないが, 陽韻と同様に于母のときのみ直音に変えることにする。 すなわち, 「胃」は juix でなく wix とつづるが, 「唯惟維遺」は yui のままとする。
  4. 蟹摂一等のうち, 王力は泰韻のみ例外的に二等とおなじ ai にしているが, 呉方言・粤方言などでは, 泰韻が二等(ai)に合流するばあいと一等(oi)に合流する場合がある。 したがって, どちらか一方に合流させずに åi とつづることにする。
  5. 王力は, 梗摂と曽摂をひとまとめにしているが, 分ける。 梗摂はベトナム語のつづりなどを勘案して, 「anh inh uanh ünh / ac ic uac üc」 に変える。 曽摂は基本的にそのままとするが, 職韻合口は「iuk」でなく「uik」にする。 そのほうが開口の「ik」との つりあいもよくなる。
  6. 魚韻を「iu」, 鍾韻を「iung / iuk」に変える。 虞韻「ü」, 東韻三等「üng/ük」はそのまま。
  7. 明母尤韻(謀・矛)について, 王力がどう考えていたかわからないが, mou とつづることにする。 明母幽韻(謬・繆)は miou とする。 明母侯韻の字(母・茂・畝・戊・某・貿)は, mou とする。 現代音との対応が一対一でなくなるが, やむをえない。
  8. 「夢」は mung(x), 「目」は muk とする。

以降, このつづりを「修正王力ローマ字」と称する。


常用漢字の王力ローマ字

常用漢字表に音読みの載っている字について, その修正王力ローマ字つづりを 「常用漢字の王力ローマ字検索」 という CGI を使ってしらべることができるようにした。 原則として, 広韻に載っている音を, 上に書いた規則にしたがってローマ字化したものである。 複数の音がある場合や, 注意すべき点については, CGI 出力結果の注釈を参照。


同綴になる漢字の数

常用漢字表の文字を修正王力ローマ字でつづったばあい, つづりの種類は 1,412 種類で, うち 962 種類はローマ字と漢字が 1対1 に対応している。 ひとつのつづりあたりの漢字数を平均すると 1.46字になる。

ローマ字で同綴になる漢字がもっとも多いのは ghi で, 「岐奇祈幾期棋旗騎碁」 の 9字がある。 ghi 以外はどれも 5字以下。


王力ローマ字と日本漢字音(訓令式ローマ字)の対応

常用漢字表に載せる日本漢字音について, つぎのような方法で対応関係をしらべた。

  1. (修正)王力ローマ字と日本漢字音を, それぞれ語頭子音(声母)とそれ以外(韻母)に分ける。
    ただし日本漢字音では y を韻母のほうに含める。 声調(-v, -x) は単に無視する。
  2. 声母・韻母のそれぞれについて, 対応関係をしらべて表にする。
    あるローマ字に対応する日本漢字音が複数ある場合は, 代表的な漢音(bh → h, ic → eki など)があれば, それを対応する音とする。 代表的漢音と一致する読みがなければ, 常用漢字表でいちばんさいしょに出てくる音と対応させる。

以上の作業を機械的におこなったため, いささかおかしな対応もみられる。 たとえば:

漢音・呉音・唐音のちがいや歴史的仮名遣いは考慮にいれていない。

声母

清濁のずれをのぞけば, 例外は少ない。

修正王力ローマ字日本漢字音例外
b p fhb(爆剖朴撲番坊妨紡)
bh vh, b
m mvb, m
d t dj tjtd(打断蛇妥脱) s(祉)
dh dhjt, d(*1)s(召錘)
n njd(*1), nt(耐賃匿)
tz ts s zc tc c zh ch shst(適注鋳) z(滋縦遵増憎璽需迅髄汁准準蒸充銃獣税説(zei)渋) ゼロ(輸)
dz z dsc zc dchs, z
gnz, ns(染)
g k hkg(該概軍撃激減剛慨欺拷戯犠暁) ゼロ(賄)(*2)
ghk, g
xk, gゼロ(横和話惑)(*2)
nggk(危研硬)
ゼロゼロ(*2)k(渦)
j y wゼロ

注:

韻母

日本漢字音の欄に「(F)」と書いてあるのは, 王力ローマ字で声母が軽唇音(f v mv) で, かつ日本漢字音がハ行・バ行のばあいの対応を示す。 「(Y)」は声母が y のばあいの対応を示す。 「(S)」は, 日本漢字音がサ行・ザ行の字。 「(T)」は, 日本漢字音がタ行・ダ行・ナ行・ラ行の字をさす。

修正王力ローマ字日本漢字音例外
o uo üo a uaao(個誇) aku(搾)
iaya
iie(是) o(碁) in(厘) utu(沸)
u o, uû(数) yo(所初助虜)
iu yoo(語) ya(煮)
ü u, yu(S,Y), yû(T)(*3)ô(拘) û(隅遇枢)
üi uii, ui(S,T)
oi uoi åi uåiai
ai uaiaia(佳派画話) i(罷)
iai üaiei, aii(批) en(洗)
au aoôo(保) yô(教抄) aku(較)
iao
ouô, u(F)o(斗母茂) u(矛) û(偶) yû(愁) uku(副) i(否)
iouyû, yuyô(幼)
ong uong ang eng ueng(*5)ô yô(床粧状)
iang üang ingô(応央向想像)
ungôû(空通痛風崇) u(夢)
iungyû(縦勇竜) yu(種) ô(濃)
üng
anh uanhôei(茎生牲) a(打)
inh ünhei, yôin(瓶)
om on uonanon(紺曇)
am an uananen(減限返幻栓) on(翻)
iam ian üanenan(巻勧願軟) in(眠員院)
en unon, un(F)un(寸噴)
im inin
ünin, un, yun(S)in(唇)
ok uok ak üak(*6)aku oku(朴)
iakyaku aku(削)
ek uekokuyoku(色) aku(惑) ai(劾)
ik uik(*7)yoku oku(億憶即息匿) iki(域式識)
ukoku, uku(F)aku(暴baku) yuku(縮)
iukyoku, oku
ükiku(*4), yuku(S) oku(六)
ac uacakueki(責) yaku(百脈厄)
ic üceki, yakuitu(喫)
ot uot at uatatuati(八)
iat üatetuei(掲)
utotu, utu(F)
itituiti(壱七) otu(乙)
ütitu, utu, yutu(S)
op apô, atuyô(峡狭)
iapyô, etu
ipyû, itu

問題点

「つづりが非常に複雑で, おぼえにくい」という明かな問題点以外にも, いくつかの問題が指摘できる。

王力ローマ字が複数の韻をひとつにまとめているのは悪くないのだが, まとめすぎているため, 現代語の音との対応関係がかえってわかりづらくなっている。 上で梗摂と曽摂, 東3韻と鍾韻, 魚韻と虞韻, 咍灰韻と泰韻などを分けたが, ほかに物韻と術韻なども分けたほうが, 対応がわかりやすくなっただろう。 また, 支韻・脂韻・之韻・微韻をまとめてしまったため, 韻母に i が多くなりすぎた。

唐代以降の音変化を部分的に取りいれているので, 日本漢音との対応はつけやすいが, その一方, 呉音との対応関係はかえってわかりづらくなっている。 とくに zh ch dch sh の直音化によって例外がふえてしまった。 韻母の例外のところにあげられている 「責粧初抄愁助状床生牲所色縮栓」 などは, いずれも zh ch dch sh のいずれかを声母としてもつ。

広韻でひとつの字に複数の音がついているとき, そのうちどの音を採用するかが方言または借用漢字音ごとに異なっていることがある。 たとえば「冷」には 3つの音があるが, そのうち日本漢字音 rei に対応するのは linhv, 現代中国語 leng3 や朝鮮漢字音 raeng に対応するのは lanhv だ。 こういうことが多くあると, ある字のローマ字つづりが方言ごとにちがうことになるので, 「区際羅馬字」 として使うのはむずかしくなってしまう。

例外的対応関係のなかには, 百姓読みによるものが多く見られる。 たとえば, 「煮 dciuv」が syo でなく sya になるのは, 「者」からの類推だろう。 こういうのは, もとの漢字を見なければ, なぜ例外になったのかわからない。 この意味で, 王力が 「文語の文献をこのローマ字にしてしまえば, 漢字を知らなくても古書が読めるようになる」 といっているのは疑わしい。


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