| Kyrie eleison. | 主よ, 憐れみ給え。 |
| Christe eleison. | キリストよ, 憐れみ給え。 |
| Kyrie eleison. | 主よ, 憐れみ給え。 |
こんだけです。 意味も簡単。 出てくる単語は eleison, kyrie, christe の3つだけ。 ラテン語の辞書を いっしょうけんめいひいて この単語を捜し出そうとした人は少なくないと思います。 でも多分見つかりません(キリストくらいは見つかるかも)。
謎を解く鍵は単語の綴りにあります。
英語のアルファベットは26文字ですが,
そのうち i と j, u と v と w の区別はあとからできたので,
ラテン語のアルファベットは23字しかありません。
もっとも普通は(とくに u と v の区別は)よく使われます。
23文字のうち,
さらに k y z の3字は外来語以外ほとんど使われることがありません。
ところが kyrie には k, y の両方とも現れています。
また christe の頭の ch というのはギリシャ語の帯気音を表しています。
(もっともラテン語固有の語でも ch のつくことが少しあります)
というわけで, 「キリエ」はラテン語ではなく, ギリシャ語で書かれているのでした。 ギリシャ語の辞書を見ると(以下, ローマ字で書きます), 以下の単語が出て来る でしょう。
| kurios | キュリオス | 主人 |
| christos | クリストス | 油を注がれたもの |
| eleeo: | エレエオー | 憐れむ |
「油を注がれたもの」ってのは変なかんじがしますが, 神が油を注いで
祝福したものということらしいです。
ヨハネ福音書 1.41 に
「メシア−−『油を注がれた者』という意味」
とあることから, ヘブライ語の「メシア」の訳語だとわかります。
イザヤ書 45 章に「主が油を注がれた人キュロス」同 61 章に
「主はわたしに油を注ぎ, 主なる神の霊がわたしをとらえた」とあります。
次に kurios はラテン語の dominus に相当します。 これは「主が」という主語のときに使う形(主格)なので, 「主よ」と呼びかけるときには -os を -e に 変えて kurie (ラテン語だと domine)と呼格で言わなければなりません。 同じく, christos は christe になります。
いまuで書いたギリシャ語の母音(υ)はユのような音で, ラテン語には 対応する音がありません。 そこでyを使って kyrie と書くわけです。 普通にミサで使うイタリア式の発音では y は i と全く同じ音になります。
eleeo: ですが, これはもともと ele-os (憐れみ)という名詞に, 動詞を 作る語尾 -eo: (ただしこれは一人称単数形)をひっつけたものです, という のはほんとは歴史的にいうとまちがいで, eleos の語幹 elee- に -jo: が ついたんですけど, まあいいことにします。
ギリシャ語には命令形がいくつかあり, 「〜していろ」「〜しろ」 「〜してしまえ」などすこしずつ違う意味を表しますが, 一番単純な「〜しろ」の意味を表す形をアオリスト命令といって, これはおしまいの -o: を捨てて代りに -son をつけてやればよろしい。
だから -eo: のアオリスト命令は -eson となりそうですが, 実際にはそう ならずに -e:son となります。 なんでか知らないけどそうなると教科書には書いてある :-) このへんがギリシャ語の厄介なところ。
えらく手間がかかってしまいましたね。 お疲れ様。 結局「憐れむ(eleeo:)」から「憐れめ」, つまり(二人称)アオリスト命令の形を 作ると elee:son(エレエーソン), ギリシャ文字で書けばελεησονになります。
ところがギリシャ語の長母音とか二重母音は, ヘレニズムの頃に大幅に 変化し, ειもηもだたのイになってしまった。 「キリエ」の文で eleison と書かれているのは そういうわけだと思います。 預言者イザヤもギリシャ語では e:saias と書かれてます。
さてこの eleison の s を澄むか濁るか。 イタリア式発音では, 母音に挟まれた s は 多く濁るようです。 だから eleison もエレイゾンになるのでしょう。 ミサに出てくる言葉でいうと, consubstantialem とか sanctus はみな澄みますが, hosanna は濁っているように 聞こえます。 もっとも lacrimosa みたいに例外もあるので, 完全確実とはいかないのですが。
s の音色について考えるうちに関係ないことを思い出しました。「クレド」の simul adoratum の所が, 私にはどうも人名の「志村」に聞こえるんですよね。
このキリエの文句は大変音楽的にできています。 最初の行を母音だけで読んでみましょう。 「イイエエエエイオ」。真中に「エ」がずらっと並び, その両側を「イ」が囲んでいます。最後にとめの「オ」が入る。 2行目も同じです。 言語感覚に優れた作曲家はしばしばこの母音の特徴を生かして 曲を作っています。 たとえばストラビンスキーは自分の曲の歌詞を他の言語に翻訳するときに 母音を変えさせないほど言葉の音色に厳格な人でしたが, かれのミサ曲では, 最初の「エ」が出てくるところで, 口の開きに対応するかのように和音がパッ とひろがる仕掛けになっています。ほかの作曲家の作ったものでも, 「エ」の 所で和音が変わるか別の声部が入ってくることが多いようです。
擬似討論その1.
| Q: | 「キリエ」の作詞者は誰でしょう。 |
| A: | さあ・・。主に憐れみを求めるのは詩篇にもよくありますが・・。 |
| Q: | 「憐れみ給え」と「哀れみ給え」では何か違うんですか。「哀れみ」と いうと貧乏くさいのかな。 |
| A: | わかりません。 でも「悲哀」「哀愁」はあるけれど「悲憐」「憐愁」とはいいませんから, 「憐」の方は他人に対する同情, 「哀」は自分自身の気持ち, といった違いはあるかもしれません。 中国で伝統的に物乞いが歌う歌に 「蓮花落」というのがありますが, これは「蓮」と「憐」とをひっかけて 同情を買おうと言う作戦です。 |
| Q: | エレイゾンとエレジーはどっちも悲しみが関係してるようですが, 語源の上で何か関係あるんでしょうか。 |
| A: | Louis and Short の辞書によると, エレジーは「エー,エーと言って 泣く」というのが語源らしい。 無関係ですね。 |
| Q: | 油を注ぐ, ってのはギリシャ語で何というんですか。 |
| A: | chrio: といいます。それに動形容詞の語尾 -to- をつけたのが christos (油を注がれた)です。 |
| Q: | 動形容詞というのは英語の過去分詞みたいなもんなんでしょうか。 |
| A: | まあそうです。 もっとも動形容詞と別に, ギリシャ語には 大量の分詞がありますが・・ |
| Q: | chrio: に -to- をつけるとどうして christos になるのですか。 |
| A: | chrio: というのは本来は chriso: だったのが s がおっこちたのです。 o: は1人称の語尾ですからこれを取り除いてから動形容詞にすれば, chris-to- となりますね。 |
| Q: | どうしてわざわざギリシャ語で唱えるんでしょう。 |
| A: | どうしてでしょうねえ? 肝腎なことがいつもわからない。 ものの本にはキリエやアニュスデイは7世紀の終りごろ 東方教会からローマにもたらされたものだと 書いてありましたが, それ以上よくわかりません。 |